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2005/07/20

AUTO-MOD25周年に寄せて

1991年。僕は17歳だった。父親を憎み、その姿を恐れ、その姿へと似てゆく自分を何よりも憎んでいた。僕は何者かになることを強く望みながら、何者でもなかった。陰鬱な音楽に浸り、怪奇幻想の闇に沈溺し、ただただこの世に産まれたことを呪い続けていた。でも、かと言ってその命を自ら断つ勇気もない惨めな生き物だった。

ある日、レコードショップに並ぶCDが目に止まった。AUTO-MODという名も知らぬバンドだった。当時洋楽一辺倒だった僕は、何故かその装丁に惹かれ赤いアルバムを買った。『イースタニア』というアルバムだった。AUTO-MODのアルバムの中で最初に『イースタニア』を聴いたのは、僕にとって運命的な出会いだった。AUTO-MODのアルバムの中でも最も実験性の高いサウンド。難解な歌詞。幻想国家論。海外のポジティブ・パンク、ゴシックばかりを聴いていた僕にとって、日本の前衛演劇要素をも取り入れたAUTO-MODの世界観は一種異様に映った。追体験しかできないことも手伝って、僕は半ば強迫観念的な思いで全てのアルバムを一気に買い揃えた。

『SMELL』で歌われていた家系という名の血の恐怖。それはまさに僕が囚われていた恐怖だった。そしてその血は家族からやがては民族、国家へと広がる『LIFE』へと繋がっていく。家系という名の血の束縛から逃れることから必死だった僕は、AUTO-MODの信者となった。13夜に渡るセレモニーを通じてイースタニアンとして生まれ変わる、そんな馬鹿馬鹿しい虚構の「ごっこ」に僕は夢中になった。それは思春期の中で自我を確立しようともがいていた僕にとって、まさに格好の逃げ場だったのかもしれない。

信者となった僕はCDだけでは飽き足らず、全てのEPやLP、VIDEOを買い集めだした。まだレコード屋をくまなく探せば、新品も埋もれていた、そんな時代だった。

やがて、90年型のAUTO-MODと言うべきGENET/ROCK OF ROMANCE結成の報がDMでもたらされる。何が何でもGENETの姿を見たい。DMに印刷された、まだ見ぬGENETの写真に僕は震えた。そして1991年12月21日深夜の新宿LOFT。僕は遂にGENETのパフォーマンスに触れた。ボンテージ風の衣装に身を包んだGENETは、僕にとってはアイドル、神だった。AUTO-MOD時代のナンバー『FRIEND』で一気にヒートアップした会場と共に、僕は記憶を失った。あの夜のことは『FRIEND』以降覚えていない。

それからと言うもの、僕はROCK OF ROMANCEのライブに足を運び続ける。打ち上げにも紛れ込むようになった。やがて大学生となり、社会人となった。ROCK OF ROMANCEはAUTO-MOD1999となり、AUTO-MODとなった。

そして、今、僕はTOKYO DARK CASTLEのスタッフとなっている。時は21世紀となり、「ゴスロリ」などという言葉が生まれ、有頂天のケラがファッション先行のゴシック文化を彩る時代。TOKYO DARK CASTLEに来る若い人達は80年代を知らない世代もおり、ファッションとしての「ゴシック」を謳歌している。17歳だった僕とROCK OF ROMANCEを共有した人達の姿はもう殆ど見かけなくなってしまった。僕の名も聞かずに「青年、青年」と僕のことを呼んでくれてた人がいた。はじめて僕のことをkihitoと呼んだ人がいた。夜通しAUTO-MODの話をした人がいた。もう、80年代的な思想を伴うロックが求められる時代ではないのかもしれない。ファッションと感性。でも、僕はこれからも小難しい理屈をこねながらAUTO-MODと共に東京の闇に潜み続けるだろう。だって僕は、遅れて生まれたにせよ、紛れもなくイースタニアンなのだから。

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